上田のお店や家庭でよく見かける六角柱の置物。これは「蘇民将来符」といわれるお守りで、年始の信濃国分寺の八日堂縁日で頒布され、祀ると厄災を逃れるといわれています。もうすぐ2024年も終わり。新しい年のはじまりには、信濃国分寺へお参りと蘇民将来符を授かりに出かけませんか。
奈良時代から続く地域の信仰。信濃国分寺について
天平13年(741)、「国やすらかに人たのしみ、災いをのぞき福いたる」という聖武天皇の祈願に基づき、日本各地で国分寺が建立されました。信濃国分寺もその一つで、長野県内では上田だけに建立され、1300年近くの間、地域の人々に信仰されてきました。
創建当時の建物は平安時代、承久の乱(平将門の乱)により焼失したといわれ、鎌倉末期から室町初期に今の場所に再建。近くにある寺跡は「信濃国分寺史跡公園」として整備されており、資料館とあわせて、創建当時の様子をうかがい知ることができます。
境内は本堂をはじめ、国の重要文化財に指定されている三重塔、誰でも自由に撞くことができる鐘楼など、見どころがたくさん。夏は色とりどりのハスの花が咲き乱れることでも人気のお寺です。御本尊は薬師如来で、例年1月7日と8日に行われる「八日堂縁日」にちなんで、“八日堂のお薬師さん”とも呼ばれます。
正月の縁日でのみ手に入る“蘇民将来符”
信濃国分寺で一番のお祭りとなる八日堂縁日では、「蘇民将来」の護符が頒布され、その様子は江戸時代初期に描かれた「八日堂縁日図」にも残っています。
蘇民将来符は、疫病や災難を避けて福を招くといわれる護符。その昔、旅人に姿を変えた薬師如来の化身・牛頭天王を厚く遇した蘇民将来という人の名に由来し、年の初めに玄関や神棚に飾ります。その護符は、取り代えずに毎年残していくという家が多いと聞きます。
信濃国分寺の蘇民将来符は、格調高いデザインと、代々続く「蘇民講」と呼ばれる地元の住民が制作に携わることが全国的に珍しく、有名になっています。
蘇民講はもともと地元農民の組織で、農閑期の仕事として、蘇民将来符の制作に携わったのが始まり。白楊(ドロヤナギ)の木をおもに手作業で削り、六角柱を作った後お寺に納めて、住職らの手により文字と文様が一つ一つ書き込まれます。朱と墨で描かれる文様は、災避けの星や網、正月らしい門松や注連縄が特徴的です。
また、「絵蘇民」と呼ばれる、蘇民講オリジナルの蘇民将来符も。蘇民講は現在地元の11軒が参加しており、家ごとに異なる七福神の絵が描かれます。七福神を基本としながら、描き手や時代によって、お蚕、農作物、そろばんなどの絵柄が入ることもあったそう。それぞれの家の絵を比較して見るのも面白いかもしれません。
2025年の縁日は1月7日・8日
2025年の縁日は、1月7日(10〜23時頃)・8日(8〜16時頃)に開催予定です。「絵蘇民」が頒布されるのは8日の朝、8時からのみ。個数に限りがあるので、早めの参拝をおすすめします。
本堂、境内、近辺の道路にはだるま市や露店も並び、お祭りの雰囲気も楽しめます。
さらに信濃国分寺では、蘇民将来符のほかにも、「角大師護符」を頒布しています。角大師とは平安時代の僧、元三大師・良源師(がんざんだいし・りょうげんし)のことで、京都などで疫病が流行った際に、元三大師の姿を書き写したお札を家の戸口に貼ると病魔から逃れられたといわれ、こちらも1000年以上の歴史があります。
疫病厄難除け、病気平療にご利益があるとされ、昨今の世相を踏まえ、身に着けやすいよう小ぶりなお札やシールタイプのものも頒布されています。こちらもあわせてチェックしてみてください。
令和2年(2020)に登録された上田市の日本遺産「レイラインがつなぐ『太陽と大地の聖地』~龍と生きるまち 信州上田・塩田平~」の構成文化財としても注目を集める信濃国分寺。「大日如来」を安置する信濃国分寺から始まり、「国土・大地」を御神体とする生島足島神社へと続くレイライン(夏至の朝、太陽が日の出の際に地上につくる光の線)も感じてください。
伝統ある古刹で蘇民将来符をお迎えし、より良い一年をお祈りしてはいかがでしょう。
INFORMATION
信濃国分寺
- 住所
- 長野県上田市国分1049
- TEL
- 0268-24-1388
- 営業時間
- 八日堂縁日/1月7日:10~23時頃、8日:8~16時頃
- 備考
- アクセス/しなの鉄道信濃国分寺駅から徒歩5分または上田菅平ICから車約15分